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人生迷子

大学院に復帰!現在はBridge of Fashionという団体でファッション業界と他の業界を繋げる活動を定期的に行いつつ、徒然なるままに自分が思ったことをブログにまとめています。

【小話】僕はただただ泣いていた

小学校一年生の夏の暮れにぼくは一人で泣いていました。

大粒の涙を流して、当時ぼくが住んでいた山口県にある徳山駅という新幹線の駅のホームで

白い大きな支柱にもたれて、頭を抱えてうずくまりながら

母が渡してくれたハンカチが絞れてしまうくらい、周りの目も気にせず泣いていました

なんでそんなに泣いていたのか、それを説明するには少し時間を遡ってぼくの当時の境遇から説明しなくちゃなりません。

これはぼくの痛ましい幼少期のお話

・・・

ぼくは神奈川の幼稚園に通っていましたが、 家庭の事情で山口の母の実家に一時帰ることになりました

その時、父は東京に仕事があったため、初めて単身赴任という形で父だけ東京に残りました (念のため言っておくと決して夫婦仲の悪化とかではないです)

僕は小学校一、二年生を山口で過ごしました

いまの僕からはあんまり想像できないかもですが、 当時のぼくは気が弱い上に、山口の方言が喋れずに よく地元の子に虐められていました。

二年生の時にはすっかり方言も喋れるようになりましたが、 一年生の時には結構学校を休むことも多かったように記憶しています。

そんな素直に楽しいとは言えない山口での生活の中で 唯一の楽しみは夏休みと冬休みの年二回、父が東京から山口に来て、一カ月一緒に暮らせる日々でした。

普段会えない父と一緒に川に魚を取りに行ったり、 勉強を教えてもらったり、 年越しの時だけは夜更かしして当時家族でブームだったマリオパーティをしたりと

とにかく楽しい日々でした。

でも現実とは残酷なもので、 どんな楽しい時間にも終わりがきます。

小学校一年生の夏休みも終わりに近づき、 父も東京へ帰らなくてはならなくなりました。

山口と東京、所詮は日本という同じ国内にいるのに、 当時の幼いぼくにはその距離は月と地球くらい離れているように感じて、

駅に向かう車の中で、既に涙を浮かべていました

新幹線が事故かなにかで来なければいい

なんて思っても、JRという会社は無情で 予定時刻ぴったりに新幹線を徳山駅に到着させました

父が新幹線に乗り、「また冬に会えるから」と手を振っていました。

冬が来るのはあと半年

子供の頃の半年は半世紀にも近いくらい遠い遠い年月で そんなの耐えられないと身体を震わせていました

冷徹無比なJRの車掌はそんなぼくを尻目にこれまた時刻通りにドアを閉め、新幹線をゆっくり発車させていきました

ぼくはその新幹線に並走する形で父の姿を必死で追いかけました。

そんなぼくを弄ぶようにJRの車掌は新幹線の速度をあげていきます。

ぼくも負けじと、父に離れまいと どんどん走るスピードを早めていきます。

まるで負けられない徒競走かのごとく、徳山駅のホームを全速力で、走り抜けていきました

そして父の姿がもう少しで見えなくなると思った次の瞬間




\ガーーーーーーン/

物凄い鈍い音が突如徳山駅に響きました

ぼくは何が起きたかわからなかった、というかそんなの考えられなかった

ただただ頭が裂けるように痛い

もはや遠ざかっていく父とかどうでもいい

マジで頭が痛い

実は新幹線の方を見ながら全速力で徳山駅を駆け抜けた結果、ぼくはじぶんに近づいて来る白く硬い支柱が見えておらず、

その鋼鉄の塊にアメリカンフットボール選手さながら突っ込んでしまったわけです。

これがもうまじで痛い

頭を強くぶつけると星が見えるといいますが、 もはやぼくの視界には宇宙飛行士が見たであろう宇宙が広がっていました

宇宙飛行士はその絶景に息を呑みますが ぼくは頭が痛すぎて目から溢れる涙を飲んでました

後ろで見守っていた母は 感動劇を見守っていたはずなのに突然ドリフのコントが始まったかのように呆気に取られていました

突然鳴る母の携帯電話

父からの着信でした

父「佑樹(僕)が突然視界から消えたんだけど、どこいったの?」

母「あ、うん、、、えーと」

もはやこの時には頭の痛さすら通りすぎ、 ただこんな情けない自分が悔しくて

僕はただただ泣いていました

おわり