僕の洗脳が解けた時の話
【いきなりデートすぎょい、、、】
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【本日のお題】
本日はいつもとはちょっと変わって最近読んだ本の話をしたいと思います。
それがこちら(・ω・)ノ
すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)
- 作者: 堀江貴文
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2017/03/16
- メディア: 新書
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なかなかタイトルは過激だなぁと感じる人も多いかもですね笑
本の表紙を見ればわかりますが、ホリエモンこと堀江貴文さんの著書です。
実はもともとFacebookで僕はよく読んだ本の紹介と所感をかいていて、この本も例に漏れず既に書いているんですが、この本はFacebookの投稿では書ききれないくらいの感想や自分の実体験なんかがあって、それをブログで紹介しようと思い、本エントリーを書いてます。
実はこの本を読んで、僕自身も少し前までこの本でいう洗脳にかかっていた状態だったように思うんです。
でもそれがある時点(後ほど紹介します)で一気に覚めた
そんな経験や経験を通して思うことがより一人でも「自分も洗脳にかかっているかもしれない」と悶々と思っている人のヒントになればと思って、本エントリーを書いてみました。
【本について】
Facebookで投稿したことと少し重なる部分もありますが、 本の紹介と所感を書くとまず読み物としてかなり読みやすいものでした。
家と学校の行き帰りだけで二日間で読めてしまったので、実質4時間くらいで読めてしまいます。
この本が一番伝えたい部分はホリエモンが他の著書でも口酸っぱく伝えている「自分がやりたいと思ったことに没頭してほしい」というメッセージ、そしてそれを一番阻害しているのが現在の学校などが実施している教育であるということです。
この本の中での洗脳というのは できるだけ扱いやすい人間にするために 多くの禁止事項を課して、我慢を強要し、 守らなくてもいいようなルールを頭に刷り込まれることを指していて 洗脳によって人は自分自身で何かを考えること、疑うことができなくなります。
学校がなぜこのような教育をするようになったのか、どのようにして成り立つようになったのかなどの歴史的背景も根拠として紹介しています。
【本を読んで】
これもFacebookで投稿した内容とかぶりますが、 僕も基本的に今の教育って全て悪いものじゃないにしても 基本的には要らないんじゃない?と思うものが多々あります。
僕は幼稚園、中学、大学、大学院と4回も人生で受験を受けている「お受験人生」を歩んで来ましたが、 基本的に受験もなくていいと思っているものの一つです。 なくなるのは無理でも受験に対する教育者(これは先生だけではなく、親も含めて)の姿勢を変えるべきだなと思います。
僕は中学のときに横浜にある私立の中高一貫校に入りましたが、 ほとんど何を考えるでもなく、ただ周りの雰囲気に合わせて 志望校も深く考えず、「なるほど、東大とか慶応を受けておけばいいらしい」となって 気づけば受験のための勉強を日々していました。
先生だってそれが当たり前って感じだったし、自分もそのことについて特に疑うなんてこともなかった。 だけど受験が終わってみれば、僕もそうですが、 結構周りでも受験が終わった途端に目的を見失ってしまった人がたくさんいたように思います。
いまの受験ってほとんどの人が外部からの煽りや圧力でなにも考えずに 受けてしまっている人がほとんどだと思うので、その圧力がなくなった瞬間、 当の本人はなにもできなくなってしまうような気がしていて もっと長期的に見たときに例え受験が成功したとしても損してしまっているなと
【道を切り開いた二人の友人】
そんな大学受験のとき、 僕の同期には二人ほど周りとは違う道を選んだ友人がいました。
一人は服飾が学びたいから服飾の学校にいくといい、もう一人は絵を描くことが好きだから芸術の大学にいくといっていました。 もちろん先生たちは反対したみたいです(友人談)
念のため書いておくと、もちろん服飾や芸術の道に行く人は他にもたくさんいるんですが、 僕の学校からそういった進路を選ぶってのは普通はないことだったんですよね。
高いお金払って、私立の一貫校に通わせたんだから、有名大学を普通は受験すべきだって感じでした。
僕もその話を最初聞いたときは「なんでそんなことするんだろう」と全く理解ができませんでした。 「あー、彼らは道を踏み外してしまった」とすら思いました(もし本人が見てたらごめんなさい >< 当時の自分は未熟でした)
でも今思い返してみると、彼らは僕よりも全然先に「自分のやりたいこと」の選択を行っていたんだなと 最近になって思うようになりました。
大事なのは単に「人と違うことをした」ということではなく、例え人と違うことでも「これがやりたい」と言えたということです。
彼らは道を「踏み外した」のではなく、自分がやりたいことのために道を「切り開いた」んだなと後々気付かされました。
【ヤケクソでアメリカへ】
かくいう僕は言われた通りの勉強や進路をできるだけ言われた通りにこなし、 「これはこういうもの」という人生をこなしてきました。
大学では情報系に進んだから「やっぱりエンジニアになるもんだよな」なんて思い、 いくつかの企業でバイトやインターンをするもなんかしっくり来ない。 でも「そういうもんだし、今まで勉強してきたからエンジニアにならなきゃ」と 自分をごまかしごまかしやってきました。
堀江さんの本でも「洗脳されている人」というのは「こうしなくちゃいけない」と勝手に決めつけて、自分を縛る人だと記されていますが、 まさに自分は当時そんな状態でした。
でもある時そんな僕の考え方が一気に覆る人に出会いました。
僕が大学院の修士一年の時、リクルートという企業が 「学生をアメリカに2週間連れていく」というインターンなのかなんなのかよくわからない インターンを発見し、僕は「タダで2週間もアメリカにいけるやんけ!」と軽いノリで応募しました。
ちょうど同時期に実施予定だったDeNAのインターンを落ちたこともあって、 若干ヤケクソで受けたんですが、 面談がぽんぽんと進んで、気づいたら合格。
「アメリカ旅行ゲットー!!」と勝手に有頂天になっていました笑
下の写真は実際にアメリカに行った時の様子。
【未知との遭遇】
そんなアメリカのインターンに行く前にキックオフや事前説明会があったんですが、 そこでこのインターンを実現した Kさん (一応本名は伏せます笑)と出会いました。
正直に言ってしまうと最初彼と話した時、僕は「苦手だ」と思いました笑(上に同じく本人が見ていたらごめんなさい ><)
何故苦手かといえば彼の挙動から考え方全てが僕の常識から外れていて、 理解できない存在だったんですね(※褒めてます)
キックオフなのに下ネタもいうし、全然関係ない話するし、 自分が「これやりたい」と思ったらやっちゃうし、 それなのにこの会社じゃ結構偉い人らしい。。。
自分の中で今までみたことのないタイプの人間すぎて若干「未確認生命物体」に出会った感覚でした(※褒めてます)
でもその後のアメリカインターンや、帰国後の交流を通して、 自分が彼の自由さにあこがれていたことや 自分もそういう自由さを持っていいんだということに気づき始めました。
【「こうしなきゃいけない」ことはない】
彼にあって、僕にない考え方は 『「こうしなきゃいけない」ということなんて無い』ということなんだと思います。
自分の直感に従う素直さ
これに気づいた時に今まで自分に対して「これはこういうもんなんだ」と言い通してきた自分自身の洗脳が この時初めて解かれたように思います。
それから今に至るまで 自分はとにかく自分がおもしろいと思うもの、やってみたいと思うものに対して チャレンジして、Bridge of Fashionという団体を立ち上げたり、 一人旅に出たり、とにかく色々なことをしてきました。
正直いうとまだはっきりと「自分はこれをやって死にたい」というものに出会ったとは胸をはっては言えませんが、 それでも以前とは違って、「自分はこれをやりたい」を素直に挑戦できるようになりました。
そして、そんな挑戦を繰り返していくうちに自分が「他の人に何かを教えること」が自分のやりたいことのコアにあるのかもということにも最近気づけるようになりました。
ある領域について興味を持ち、その領域について学びたい人に対して、時には自分が教えたり、 時には勉強会のような形でその領域に詳しい人を呼んだりと 「教育」ではなく「学習援助」のようなことが自分はやりたいことなんだとふんわりとですが、気づけました。
【必要は学習の母】
「自分のやりたいこと」のために必要な知識は後からでも全然ついてきます。 誰かに教育されなくても、自分で学習することができる。 多分その学習は楽しくてしかたないと思います。
その時に自分から学ぶことこそ自分の知識になると思うんです。 そしてそういう知識は周辺の領域にも裾野を広げていきます。
そうするとその領域にも興味が広がり、更に自分の知識が広がっていく。
だからこそ、今教育者と呼ばれる人たちが子どもたちに提供しなくちゃいけないのは いつ使うかわからない知識ではなく、 その子が「やりたい」と思うようなことを見つけられる機会なのかなと思います。
絶え間なくその子が興味を持ったことをチャレンジできるきっかけを与える。 そんな場があればもっと多くの子供が幸せな将来を送ることができるのではないかと思います。
【偉そうなブログでごめんなさい】
まだ25年しか生きていませんが、 その25年の中で、そして今回の本を通して自分が感じたことを書いてみました。
もしかしたら自分が将来のやりたいことに気づけなかったのは自分の怠惰のせいもあるのかもしれないし、 他人のせいにするつもりは全くありませんが、 それでも周りの大人たちが今の子供たちにやれることはもっと他にあるのではないかなとも思います。
そして同時に僕と同じように、(この本の言葉を借りると)洗脳されてしまっている人もまだまだいると思います。
そんな方にとって自分の体験が少しでもヒントになればと思い、自分の経験も書いてみました。
でも多分自分の体験談だけじゃそんなにインパクトも無いと思うので(笑)、 最後に岡本太郎さんの著書「自分の中に毒を持て」の中で僕が好きで、 いつも心に留めている一節を引用して終わりにしたいと思います。
確かに危険を感じる。そっちへ行ったら破滅だぞ、やめろ、と一生懸命、自分の情熱に歯止めをかけてしまう。
しかし、よく考えてみて欲しい。あれかこれかという場合に、なぜ迷うのか。こうやったら食えなくなるかもしれない、もう一方の道は誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら。 そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ、ほんとはそっちに進みたいんだ。
引用元:
自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)
- 作者: 岡本太郎
- 出版社/メーカー: 青春出版社
- 発売日: 1993/08/01
- メディア: 文庫
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一人でも多くの人がこのブログをきっかけに「自分の行きたい道」を素直に選ぶことができるようになれば幸いです。
それにしてもなんか今回のブログ謝ってばっかりだなぁ笑
それではサラダバー